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2020.8.25

コロナとの共存で思うこと。

日常の過ごし方が変わる。

そういわれても、なかなか身に付いた習慣を直すのは厄介なことに思えます。

 

家の中の暮らしと、外に出る暮らし方で、主に変化を求められているのは後者でしょう。

外に出るケースとは、生きるために必要な活動と、それ以外の活動に分けられそうです。

 

生活の糧を得るための仕事や、食料や生活必需品を購入するための買い物、身体を整えて活力を得るための軽度の運動や散歩が前者。

では後者はというと、娯楽としての旅行や、趣味のための集まり、生きるため以外の食事や、必需品以外の買い物などが該当しそうに思えます。

 

ここで旅行について考えてみます。

余暇の過ごし方は、我々日本人と他国では大分違いがありそうです。

 

もうだいぶ昔のことになりますが、リゾート法という法律が制定された時に、欧米型の余暇の過ごし方を読んだ記憶です。

欧米人はリゾートのために6月くらいから9月まで夏休みを長期間とるのが習慣で、家族で避暑や避寒に出かけ長期滞在をして過ごします。

緯度の高い寒い地域の人は低緯度の暖かい地域へ移動。逆に低緯度の暖かい地域の人は避暑のため、静かな湖の畔などでキャンピングカーを停めて過ごします。木陰にハンモックやイージーチェアを置き、静かに本を読んで過ごし、魚釣りやハイキングといったことを家族で行い、ほとんどお金を使わないのが普通で、都会で喧騒にまみれた生活からリフレッシュするための充電期間であり、家族が親交を深める機会ということでした。

 

ではわが国ではどうかというと、旅行といえば、古くは江戸時代のお伊勢参りに代表されるような、観光目的の旅行をすることが余暇の最大の行事でした。江戸時代は、隣の町や地域でも藩が違う場合、通行手形というパスポートとビザが無ければ移動できない仕組みでありました。簡単に言えば小国が集まっていた中世ヨーロッパのように、藩という小さな国々の集合体が日本でした。お伊勢参りといっても、沢山の他藩(外国)を通過しなくてはならず、庶民にとって旅行などは一生に1回できるかできないかというくらいの大きな出来事で、念願かない通行手形がもらえると、それはもう一家一族どころか周辺住民を巻き込んでの大事になりました。旅の恥はかき捨てとばかり、長年蓄えたお金を惜しげもなくつぎ込み、憂さ晴らしをするために出かけます。投宿先の街道宿場町でもお金を落とし、目的地でもお金を落とす。ご祝儀をくれた近隣に配るお土産を大量に買い込むことも当然のことで、とにかくお金がかかる行事でした。

 

現在も規模は異なりますが、観光という短期宿泊で大量の消費をおこなうスタイルが日本的な余暇の旅行で、リゾートという長期滞在で消費をなるべく抑えるスタイルが欧米とした場合、日本で後者をおこなうのは相当難しいことは容易に想像できます。まず観光地と呼ばれる滞在先になりそうな場所、風光明媚な地域や古寺名刹などの名所には、お金を落とさざるを得ない仕掛けが長年にわたり整備され旅行者を待っています。勝手に行って欧米スタイルを実施しようものなら不法侵入や不審者扱いされて警察のお世話になりかねないし、駐車場も有料です。自分なりのスタイルで満足感を得られるようにはできていないので、整備されたなかを順に巡りお金を落とす仕組みに入らないといけないようになっているようです。

 

充実した余暇の過ごし方とは、本人たちの満足度の問題と考えると、外に出かけないで余暇を楽しむこともできそうです。外に出かける=余暇の過ごし方という考えを少し変えるだけで、自宅で余暇を楽しく過ごすことができます。

テンプレートにはめたような余暇の過ごし方から、自分たちなりの過ごし方へ変えることが、アフターコロナの日常かもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

担当:後藤

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